平成29年歳末ごあいさつ

お客さまは神さまです

三波春夫さんといえば、というこの言葉が、今でもさまざまな場所で語られています。三波さんのご著書『歌藝の天地』によれば、この言葉は昭和36年の春頃に、山陰地方のある町の学校の体育館で、司会の宮尾たか志さんとの掛け合いの中で飛び出したものだということですから、もう50年以上も語り継がれていることになります。

たしかに、芸人さんが舞台にあがったときに、客席に誰もいないというのでは話になりませんし、お客さんが退屈するようでもいけません。ときには厳しい声をかけられることによって、芸人さんがお客さんに育てられることもあるでしょう。その一方で、満席のお客さんから割れんばかりの拍手を浴びせられるのは、芸人冥利に尽きることでしょう。そうだとすれば、芸人さんにとって、まさに「お客さまは神さま」に違いありません。

しかし、三波さんによれば、この言葉にはもう少し深い意味が込められていたようです。心を昇華して真実の芸を届けなければお客さんを喜ばせることができないし、そのためには神さまに手を合わせるのと同じように、敬虔な心で舞台に立たなければいけない。そうしなければ、自分はただ歌を唄うだけの歌手になってしまう。そこには、三波さんの芸人としての矜恃、プライドとともに、自戒の念が示されていたように思います。

けれども、この言葉はすぐに、三波さんの意図とはまったく異なる場面で使われるようになりました。例えば小売店や飲食店で、あるいは様々なサービス業の現場で、「お客さまは神さま」だから少しの粗相もあってはならないとか、お客さまの前では自分自身が最大限へりくだらなければならないというような風潮が広まったのです。そして、そのような傾向は、「おもてなし」の名のもとで、近年さらに強まっているように感じられます。

その一つのあらわれが、「させていただく」という表現です。「挨拶させていただく」とか、「販売させていただく」というような形でこの表現は用いられています。もちろん、自分自身が生活をし、商売をすることができるのは、多くの人々の支えがあってのことですから、そこに感謝の念を抱くのは大切なことでしょう。しかし、たとえそれが単なる敬語表現だとしても、あらゆる場面で「させていただく」と表現しなければならないほど、自分を卑下する必要はないでしょう。

また、最近ではスーパー・マーケットやコンビニエンス・ストアでさえも、まるで王侯貴族の賓客を迎える高級ブティックのように、店員さんが両方の手のひらを重ねてお辞儀をする姿を目にするようになりました。これはマニュアルどおりの作法でしょうが、私にはそうした形式的な挨拶の中に、店員さんのあたたかい気持ちを感じることができません。むしろ、昔の小売店のオヤジさんのように、元気な声で「ヘイ、まいど」と声をかけてもらう方が、はるかに心がこもっているように感じられるのです。

私たちは、いつからお客さまの「召使い」になってしまったのでしょうか。「お客さまは神さまです」という言葉に縛られている私たちは、もともと三波さんがその言葉に込めた矜恃とプライドを見失っているようにしか思えないのです。

その一方で、自分自身が「お客さま」になるとき、私たちは無意識のうちに「神さま」になっていないでしょうか。無理難題を押し付ける、いわゆる悪質な「クレーマー」ほどではないにしても、「私はお客さまだから、少しはわがままを言ってもかまわない」とか、「お客さまである私は、感謝をされて当然だ」という気持ちがまったくないと言えるでしょうか。たとえわずかだとしても、そのような気持ちを抱いたら、私たちは相手を「召使い」として見下していることになります。けれども、それはお客さまの前で自分自身が「召使い」になっているときの気持ちの裏返しでしかありません。

しかも、「召使い」となった人は、「神さま」から少しでもクレームをつけられないように、形式的な言葉、お行儀のよい挨拶だけを繰り返すことになるでしょう。そのとき、お互いの間では、心のかよったお付き合いはできなくなってしまいます。「神さま」であるはずのお客さま自身も、ただお金を払ってくれるだけの存在になりさがってしまうのです。

「お客さまは神さまです」という言葉を生んだ三波さんは、この言葉が流行したのは人間尊重の心が薄れたためではなかったかとも述懐されています。私たちは改めて、自らを大切にするとともに、相手を尊重することの大切さをかみしめてみる必要があるでしょう。そのとき、誰にとっても自分が一番大切な存在だ。だからこそ、誰に対しても自分に接するとの同じように接しなければならないというお釈迦さまの教えが、ふと頭に浮かんでまいります。この教えを実践するために、自らが尊大な「神さま」にならないよう、また、たとえ尊大な「神さま」が目の前に現れても心を乱すことがないように、もうひとつの魔法の言葉を胸に刻んでおきたいと思います。

実るほど こうべをたれる 稲穂かな

平成29年の歳末にあたり、皆さまのご健勝をお祈り申し上げますとともに、きたる平成30年が良き年でありますことを心より祈念申し上げます。