平成28年歳末ごあいさつ

 平成28年も残りわずかとなりました。皆さまには、お元気で日々精進されていることと拝察いたします。 

さて、ここ数年、お檀家の皆さまから、葬儀の際に「家族葬」とか「密葬」というご希望をお聞きする機会が増えてまいりました。また、永代供養や「墓じまい」のご相談をお受けすることも多くなりました。時代の変化を感じずにはいられません。

たしかに、こうしたご相談をされる方の中には、真にやむをえない事情を抱えている方もいらっしゃいます。しかし、その反面、お話をうかがいながら、首をひねらざるを得ない事例もございます。いわく、「葬儀を公表すると、近所の人々に迷惑をかける」とか、「お墓を残すと、子供たちに迷惑をかける」等など。そこに共通するのは、「迷惑」をかけたくないという思いのようです。

けれども、葬儀に参列される方やお墓を守る方は、本当にそれを「迷惑」と感じているのでしょうか。たしかに、それらは「面倒」なことかもしれません。しかし、「迷惑」と「面倒」が同じとは限りません。

私ごとですが、最近、愛知県に住む親しい2人の友人、知人を相次いで亡くしました。そのために、3日の間に愛知県まで2往復することになりました。たしかに「面倒」ではありましたが、決して「迷惑」なことではありませんでした。むしろ、それぞれの方に最期のお別れをしたいという思いから、自ら「面倒」を行ったにすぎません。葬儀に参列できなければ、この方々にお別れをすることができず、私の中のモヤモヤした気持ちを抑えることができなかったでしょう。

もしかしたら、私が葬儀に参列したことは、ご遺族に面倒をおかけすることだったかもしれません。しかし、ご遺族にとってその方々が大切であるように、私にとってもかけがえのない方たちでした。その意味で、私が葬儀に参列することを許してくださったご遺族に対しては、心から感謝しております。

同じように、お墓を守ることは「面倒」かもしれませんが、必ずしも「迷惑」だとは限りません。むしろ、お墓がないことの方が、かえって遺族にとっては困惑の原因になるかもしれません。そのことは、海上や樹木の下での散骨を行った方々が、後になってお参りすべき場所を見いだせず、後悔したという幾つかの報告からもうかがわれます。早々に「墓じまい」を行うことの方が、遺された方にとっては「迷惑」になるかもしれません。

近年、NHKをはじめとするマスコミ報道などで、「家族葬」や「墓じまい」という言葉を耳にすることが多くなりました。また、いわゆる「有名人」と呼ばれる人々がそのような選択をしたことが報じられると、それこそが現代的なトレンドであり、それに従わないのは「時代遅れ」だという印象を抱く方も多いでしょう。

しかし、考えてみれば、いま、私たちが行っている葬儀や供養、墓参りなどの作法は、数百年をかけて先祖たちが作り上げてきた一つのシステムであり、伝統的な文化です。そこには、亡くなる方と遺される方、親類縁者やそれ以外の知人たちの誰もが納得できる、最大公約数的な知恵が結集されていると言ってもよいでしょう。それを「迷惑」のひと言で片づけてしまうのは、やはり乱暴なことではないでしょうか。近所の人々や家族の方々に「迷惑」をかけないようにしたことが、かえって「ありがた迷惑」になってしまうかもしれません。

ただ、そうは言いながらも、それぞれのご家庭にはそれぞれのご事情もあるでしょう。お悩みごとがございましたら、ご遠慮なくお寺までお申し出ください。すぐに妙案が浮かばないかもしれませんが、きっと解決方法を見つけることができると思います。

ところで、本年は、当院開山揚室印播大和尚が元和3年(1617)5月8日に示寂されてから、ちょうど400回忌の年にあたりました。4月30日に厳修いたしました遠忌法要にご列席下さいました皆さまには、改めて御礼申し上げます。また、平成23年に始まりました本堂でのコンサートも盛況となり、本年5月にはモスクワ音楽院と東京芸術大学の卒業生4人による演奏会、10月にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のチェロ奏者であるヘーデンボルグ・直樹氏の独奏会、また、3月と7月には静岡県舞台芸術センター(SPAC)の所属俳優である奥野晃士氏による歴史演談を開催しました。墓参や法要だけではなく、さまざまな機会に足を運んでいただき、人と人とのご縁が広がるようなお寺でありたいと念願しています。

 平成28年の歳末にあたり、お檀家さまのご健勝を祈念いたしますとともに、よきお年を迎えられますことをお祈り申し上げます。